天桂寺は室町時代みなかみ町須川に沼田長忠公により鳳来山大慈院瑠璃光寺として開創。
明暦三年(西暦1657年)沼田城主真田信吉公の菩提を弔うため沼田城下へ遷堂し
爾後4ヘクタールもの広大な寺領に七堂伽藍が備わった荘厳な堂宇が建立されました。
沼田城下一の大山と謳われ崇められた、当山六百数十有余年の長い歴史の中で
廃寺の危機や宗門ぐるみの乗っ取りなどの厄難を乗り越えられたのも
仏縁によって結ばれた皆様方の有り難きお心のおかげです。
感謝を込めてその歴史の一部をご紹介いたします。
応永元年(1387) | 沼田長忠公の勧請により『峯ノ飛薬師』を本尊とし鳳来山大慈院瑠璃光寺が開創 |
寛永十一年(1634)11月28日 | 沼田城主 真田信吉公の江戸屋敷で死去。行年40歳 戒名『天桂院殿左前河州大守月岫淨珊大居士』 |
明暦三年(1657) | 信吉公の菩提を弔うため瑠璃光寺を遷堂し改め 『月宮山瑠璃光院天桂寺』を建立 |
寛文六年(1666)6月 | 永平寺27世 嶺巖英峻 萬照高国禅師(れいがんえいしゅん ばんしょうこうこくぜんじ)によって開山。 |
天和元年(1681) | 真田信利代改易となる |
明和七年(1770) | 火事により焼失 |
安永元年(1772) | 天桂9世柱峯梁代、沼田土岐氏3代貞経公の勧請により再建 |
大正八年(1919) | もらい火により伽藍、荘厳、文書の全てを焼失 |
大正九年(1920) | 天桂22世租海碩龍代、沼田土岐氏12代頼知公により仮本堂建立 (※この善功により土岐頼知公を当山中興開基と定める) |
昭和二年(1927) | 『豊川稲荷荼枳尼天豊川閣~ほうせんかく~』建立(※碩龍代) |
平成三年(1991) | 秀典和尚晋山結成、文昭上座首座法戦式※を行う。 |
平成十一年(1999) | 天桂24世英峰秀典代 平成の大本堂落慶 |
令和元年(2019)11月 | 曹洞宗宗務庁との被包括関係を解消 曹洞宗単立寺院となる 星覚文昭和尚 天桂寺25代住職に就任 |
※首座法戦式とは首座が結制中に住持に代って仏法の教えを説き祖師方の修行と悟りについての大問答を一生に一度勤める儀式です。
つての天桂寺大本堂(茅葺きの屋根でありました。写真左)
大正九年に建立された仮本堂(写真右上)
茅葺き本堂あとに建立された「豊川稲荷」本殿(写真右下)
当山開基【真田信吉公】について
真田信吉公は、真田初代沼田城主信之の嫡子で母は大蓮院(小松姫)。
元和二年(1616)に信之が信州上田に移った後、二代沼田城主となる。
寛永十一年(1634)には真田家と領内の安泰を祈り、城鐘(県指定重要文化財)を鋳造しました。
同年江戸屋敷で没し、遺骸は沼田へ送られ迦葉山で火葬、爾後天桂寺に葬られました。
父信之公と共に(大河ドラマ真田丸より) 当山の信吉公の尊像と位牌
当山中興【土岐頼知公】について
土岐頼知~ときよりおき~公は、11代沼田藩主頼之公の長男として江戸にて誕生。
母は松平信義の娘、萬千子。
慶応三年(1867)頼之が隠居となり沼田土岐氏3万5千石の12代(最後の)藩主となる。
翌年の戊辰戦争では新政府に恭順し活躍する。檀家を持たない大名寺であった天桂寺の廃寺の危機を中興として碩龍和尚とともに再興し今日の礎を築く。明治四十四年(1911)10月4日死去。その位牌は今も当寺にまつられ報恩の供養を受けている。
中興開基土岐頼知公のご遺影とお位牌